ワイやで

文体が安定しない

その判断は間違っていない

滝翼のラストパフォーマンスを見て入沼(こんな熟語はない)したのが悲しいと前に書いたけど、そうでもないなと考えを改めたのでメモしておく。ファンの方は傷つくかもしれないので読まないでください。

節目だったのだ。とりあえずキリの良いところまでは続けようっていう。タイミング的にいろんなことが重なっていろんな憶測が交わされてるけど、ファンからすればどれもこれもピンとこないというか。惰性で二人での活動を続けてしまうことになるのなら、ここで一旦区切りをつけて、また次のタイミングが来たら再開しようということなのだと私は思ってる。

 

今井翼のダンスを見たんです。スペインで踊ったフラメンコと、バーン・ザ・フロアのを。フラメンコを勉強してるのは知ってたし、コンサートの映像とか見てて踊りが上手いなって印象はあったけども、それらの踊りはタッキー&翼の今井翼とは別の人が踊ってるように見えて。具体的に言えば顔つきがちがう。(ツバーサは見た目がコロコロ変わるとか言われてるけどそういう意味じゃなくて、)純粋に、踊ってるときが一番楽しそうに見えるんだよね。それも、自分の限界に近いところで踊ってるとき。そういう気迫とか感情のようなものは、踊ってるのを見てるだけで伝わってくるし、アイドルでいるときには出せないものなのかもしれない。

彼のその踊りを見て、ソロ活動をすることにも理解ができた。だってそれは滝翼とは別の表現の道であるから。ここで分人の話をもってくるとややこしくなるけど、つまりは以下のようなことデビューから15年間タッキー&翼の今井翼を大きくしてきたけど、それと同時にフラメンコを踊る今井翼も育ててきた、ほかにもソロ活動をする今井翼、ミュージカルの今井翼どれも今井翼であることには変わりはないけど、少しずつ違うんだよね。分母の数だけ今井翼のいろんな顔があって、それぞれの分子の割合は常に変動している。つまり今回の滝翼の活動休止は、タッキー&翼としての今井翼の分子を小さくするだけなんだよね。そのかわり滝翼の分子が小さくなった分ソロ活動だったり、他の分子が増えるよね。

滝翼としての活動がメインである限り、その他の活動において手の届かない、見えない景色があるんじゃないか。例えばフラメンコの師匠が翼を引き抜きたいくらいだと語っていたけど、言葉の裏には実際には引き抜くことなんてできないから惜しい、翼にはフラメンコと同等に重要な活動がたくさんあるから。つまり滝翼の活動をメインにしている限りは、フラメンコなどの素質があるのにそれをさらに育んでいける状況にないということなのではないか。それってすごく悔しいんじゃないかと思う。自分には絶対に手の届かない領域があるなんて。手が届かないとわかっていても、そこに挑戦することができれば、それは芸の道を進めることになる。でも翼にはそれができない。メインの活動が重荷になってしまうから。

だからこそ、二人は決断したんじゃないかな。お互いにやりたいことはたくさんあって、それらをレベルアップさせてさらなる高みを目指すためにはより集中しなければならない。もちろんファンのことを心配させたくはないし置いていくつもりもない。滝翼として集中力を欠いている今、その状態でファンの前に立ちパフォーマンスすることは逆に失礼にあたるのではないかと、二人は考えたんじゃないかなあ。まあここまで書いたことは全部私自身が納得するための強弁なんですけど。

 

本人たちのやりたいようにやってもらうのが一番だと思ってる。きっとやりたいことをやってるときが一番輝いてるし、その顔を見たいと思う。そのために活動休止が必要だったのなら、何も悲しむことはない。しばらくの間二人揃っての活動が見られなくなるのは寂しいけど、本人たちの気持ちがあっちこっちに揺らいだ状態で中途半端なものを見せられるよりは、個々の活動を突き詰めるところまで突き詰めて、ふと昔の友人に会いたくなるように、たまに滝翼のことを思い出して二人が揃ってくれたらそれでいいかな。