ワイやで

文体が安定しない

ライオンになりたい女の子

女に生まれて良かったと思ったことがない、と親に言ってもいまいち理解してもらえないので良くなかった記憶を書き出す。

 

一番古い記憶は4歳。幼稚園で私が転んで、スカートがめくれたときに男の子数名に囲まれて、パンツがどうのといじられた記憶。その時の教室、転けた場所、囲まれた風景は鮮明に覚えている。男の子たちの中には私の好きな子もいて、その子もほかの男の子と一緒になって笑っていたのがショックだった。(彼はそれ以前にいじめられそうになった私をかばってくれたことがあった) そのときの私はパンツの上にブルマを履いていて、その事実にどれほどか助けられたのだと思う。(それほど傷付かずに済んで)

小学三年生のとき。日直で授業後黒板消しをしなくてはならなかった。黒板の下のスペースにひとりの男子が座り込んでいた。彼はきっと、私が何も言えないタイプだということを知った上での行動だった。黒板の文字を消すには彼の前を通らなくてはならなくて、おかしいと思いながらも通り過ぎようとしたとき、衣服を触られた感覚があった。いわゆるスカートめくり。他に誰が見ているわけでもない、ただ彼の欲求のために利用されたのが怖かった。その子とは喋ったこともない。数ヶ月後転校することになったのは私の精神衛生上良かったのかもしれない。最終日にもらったクラスの寄せ書きの中に彼の名前もあったが本当に気持ち悪かった。いまだに彼の名前は記憶から消えない。

転校先の学校でも、私が引っ込み思案で喋れない、何も抵抗できないタイプだと判断して攻撃してくるやつはいた。本人はほんの興味本位でやったことなんだろう。私がこれを笑い話にするまでにどれだけの時間が要ったかも知らずに。彼は学校の池のそばで遊んでいた私の背中を押し、池に突き落とした。彼には私がなんの文句も言わない人形のように見えていたのかもしれない。私が男だったら彼は同じことをしただろうかと今でも考える。彼より体が大きければ、彼は私からの報復を恐れただろうか。

学校以外でもショッキングな出来事は起こる。市民プールに行けば、自分より身体の大きい、中学生か高校生くらいの男子の集団が、小学生女児の身体を狙うのだ。プールならば証拠も残らないし逃げやすいから。彼らは潜って泳ぐふりをして、女の子のお尻や身体を触ってまわる。そして仲間内で笑っている。度胸試しのつもりだろうか。触られたほうは、誰に触られたのかもわからないし、触られたという確信もないから親にも言えない。ただプールから出るしか身を守る方法がない。

中学生になれば制服を着なくてはならなくなった。スカートめくりをされて以来私は恐怖心からスカートを履かなくなった。いつも同じジーンズを履いていたから膝の部分は両方とも破れていた。校則ならばと嫌々制服の採寸に行き、セーラー服で登校する日々が始まった。セーラー服は着ているだけで狙われる対象になる。1人で登校しようが、友達と2人で登校しようが痴漢に遭う。痴漢は電車内だけの出来事ではない。背後から原チャリがジリジリと近寄ってくる。私は道の端に寄って道を開けるが、原チャリもまた寄ってくる。通りには人気はない。これだけで中学生には十分恐怖である。そして私の胸のあたりを触って逃げていく原チャリの男を見ながらもただ立ち尽くすしかなかった私は、あとで刺してやりたいくらいの怒りを覚えた。どれほどの悔しさだったかというと、それ以降鞄にモンキーレンチをしのばせて登校するくらいには警戒するようになったし、眉間に皺を寄せて人を近づけないように歩く癖がついたのもこの頃からだ。セーラー服でなければ狙われなかったかもしれないと思うと、この制服を好きにはなれなかった。

夏服は白のシャツになる。下着は校則で白と決まっている。白の下着に白のシャツだとどうなるか。下着の線が透けて見えるため、女子はいつも我慢して暑いニットのベストを着ていた。学校にクーラーはない。私はこの制服が嫌いだった。

高校ではクラスが3年間同じでクラスの8割が女子という、ほとんど女子校のような環境だったおかげか、毎日のように警戒することは減った。高校で私が男性と喋ることはほとんどなかった。そのせいかもしれない。部室で私を隠し撮りする後輩の男子に何も言えなかった。部長という立場で動きあぐねていた部分もある。自意識過剰と思われないか、私のせいでこの子が部を辞めてしまわないか、いろいろな考えが私を動けなくさせた。逃げるしか方法がなかった。

大学に入っても同じだ。痴漢が怖くて電車内では申し訳ないと思いつつもリュックを肩から下ろせなかった。地元ではそれなりに守られていたことに気づく。町を出れば女というだけで見下されたり、無知でいることを求められる。身体の仕組みを理解してもらえないことも多々ある。無知なのは果たしてどちらだろうか。幸い、私の行動範囲にいた男性は理知的な人が多く、紳士が多かった。彼らと一緒のとき辛い思いをすることはなかった。私に辛い思いをさせるのはいつも見知らぬ人だ。そして私が1人でいるとき。彼らは、自分よりも弱いものを選んで攻撃してくる。

 

これらは全て、忘れたくても忘れられない記憶だ。いじめと一緒で、加害者側にはなんという気はなくても、受けた傷は深い。その傷は人格形成にも関わってくる。人の人生を曲げるものだ。私はスカートを履くことが楽しいと思えない人間になってしまった。服は好きなものを着れば良いと言うが、私は「好きなもの」を捻じ曲げられてしまった感覚でいる。それに加えて女性でいるだけで余計に維持費がかかったりする(それなのに給与や雇用機会に差があるんだね?)。これで女に生まれてよかったと思えるほうが難しいと私は感じている。

私はもっとつらい経験をしてる、こんなのは被害のうちに入らない、などという意見はいらない。辛い経験の張り合いをしたいわけではない。女性に生まれてきて性に関してなんの被害も受けずに成人できた人は幸せだ、などとよく言われるが、それが冗談や嘘でなく、ごくありふれた事実であるということを伝えたい。

 

あー、人間、雌雄同体に進化しねえかな。