ワイやで

文体が安定しない

滝沢歌舞伎2018

はじめて滝沢歌舞伎をみてきました。個人的に2部は腹痛との戦いで、正直あんまり集中できなかったんですが感想です。

 

観終わって、気分的にはディズニーランドで一日遊び尽くしたような感覚でした滝沢歌舞伎はディズニーランドだった??はじめて滝沢秀明を肉眼で確認したんですけど、圧倒的な美で眼球を殴られてるような、きらびやかさと美の洪水に次ぐ洪水に途中から何を観ているのかわからなくなってきて、テーマパークみたいだったっていうアホな感想しか出てこないです、何しろ脳が溶けてるもんで。お腹痛いし。滝沢秀明ワールドタッキーの頭の中を覗く疑似体験ツアーというかどう形容しても形容しきれない世界なんですけどどんな衣装もどんな役も滝沢秀明であるというだけで説得力が出てしまう、滝沢秀明の持てる力のすべてを目撃しているんだけど、そこに必死さとかはなくて、立っているだけで品格さえ感じられるようでひたすらに格好いい。目の前にいるんだけど、滝沢秀明が実在の人物っていうのが信じられない、そんな気持ちで観てました。

べた褒めやんけ、とつっこまれそうですが滝沢秀明の顔が好きなんでしょうがないね。パンフも眼福でしたよ。健ちゃんもなんて美しいほんと奇跡のおじさんたち。なんだかプロのアイドルを見たような気がしました。健ちゃんがアイドルだという自覚を持っているのも最高だし、タッキーが毎年この作品を創り続けている理由を考えたときに、ふたりのファンやお客さんと向き合って生きている姿勢にプロのアイドルを感じました。

 

あえて歌舞伎的な要素の話をすると、滝沢秀明女形めちゃくちゃかわいいなっていう感想です。タッキーが女装したらかわいいとかって話ではなくて(むしろこの人はただ女装しても雄が消えないと個人的には思ってる)、たしかにあの瞬間はタッキーが消えて、ほんとうにかわいくて守ってあげたくなる女性がそこにいるんだよね。花道で横通ったときなんかメッチャいい匂いした。全編通して言えることだけど、そういう完璧なものを見せられたときに、涼しい顔でこなしてはいるけどこの人の努力には絶対勝てない、敵わないなって思って、滝沢秀明へのリスペクトが止まらない。

 

今年が初見ですし滝沢歌舞伎を語るなんてことはできませんが、海外の方目線で見たときに、歌舞伎へのほんの入口にはなるな、と思いました。歌舞伎というかもっと広い枠で、日本の文化、アイドル文化も含めて、ジャパニーズエンタテインメントを知ってもらうには最高の入口になるんじゃないかと。見た人によって捉え方はいろいろあるかなあという印象です。本人が歌舞伎だって言うんならそれでいいんだと思う、まわりが決めるものじゃないし、そういう意味で歌舞伎は形がないものであってほしい、私は。だから滝沢歌舞伎っていうのは歌舞伎のひとつのジャンルって言えるなと。正直私も歌舞伎の歴史を調べたのは高校生のときで、それまではタッキーが歌舞伎の真似事してるんだって認識でいました。たしかに真似事なのかもしれないけど、もともと歌舞伎ってずっと変化し続けてきたものだし、今じゃ古典的な側面も持ち合わせているけど、変化し続けていくべきものでもあるんだよね。だから当然滝沢歌舞伎も歌舞伎の表現の形のひとつなわけで。それは飛んでみたり太鼓だったり変面もそうだし、滝沢秀明にしかできないものになっていってる。それが若い人が歌舞伎に親しむきっかけになって、歌舞伎っていう演劇の表現がこれからも続いていくなら良いことなんじゃないかな。もちろん古典としての歌舞伎も後世に残しつつ、新しい歌舞伎が生まれて滝沢秀明はその歌舞伎の歴史の流れの中にいるんだって思ったらやっぱりすごいな。

 

関連のインタビュー記事なんかを読んでいると、滝沢歌舞伎2018東京オリンピックを見据えた内容で海外の方にも楽しんでもらえるようになっていると。こういう取り組みを見るとタッキーの「ジャニーズのエンタテインメントを世界に広める」っていう言葉は本気なんだって思うやっぱもうほんとに小さいジャニーさんなんだね。またそれを後輩にやらせるとかではなくて自分が先導してやってるっていうのがさあタイトルに自分の名前が入っちゃってるしね、いつまでもトップ。そして歌舞伎っていう表現でもってジャニーズのみならず日本の文化をも知らしめていこうっていうスタイルねほんともうどこまでもイケメン(怒) いつかミッキー&タッキーってあったけどタッキーはどんどんミッキーに近づいてるんじゃないだろうか何でも屋さんだから体感的にはディズニーランドだったし。(スミマセン)