ワイやで

文体が安定しない

次世代のアイドルの在り方について

マリちゃんが「女子力が高い」と言われることについてそれは性別関係なく人として大事なことであるから「美意識」と言うべき、との発言をしたというのを見かけていたく感動した。古い価値観のまま現代を生きている人は少なからずいて、私が応援している彼ら、ときおじさんにもそういう節があるように感じることがある。ミッチーのようなフェミニストで完璧なアイドルはそう存在しないのが現実である。(ミッチーはアイドルとかいう次元ではなくミッチーとして存在しているのだけど)

 

まず、私たちがなぜ男性アイドルを応援できるのかということについて考えたい。

世の女性はすべての男性をうっすら怖いと感じている、そんなツイートを見かけたが、その通りだと思う。現に私は日本において女であるというだけで生きづらさを感じている。日本を出たとしてもそれは変わらず一緒で、見知らぬ男性に声をかけられたり触られたりした記憶は楽しい思い出よりも強烈に残ってしまっている。私がもし男だったとしたら彼らは私に対して同じ行動を取っただろうか、もちろん取らなかっただろう。外見でナメられているのではと化粧もしないで汚らしくしてみたり、電車では多くの男性と同じように脚を広げて座ってみたり、常に眉間にしわを寄せて不機嫌な態度を取ってみたりしたが、それでも私を女だというだけで自分より下の弱い存在だと判断する人はいて、わざとぶつかってくる人や電車でわざと寄りかかってくる人もいる。個人的なことだが、小学校の時クラスメイトの男子にスカートめくりをされて以来スカートを着るのが怖くなり、あれから十数年経った今でも着ることができない。そのせいで服の好みも変わり、いわゆる"女の子らしい"格好をしなくなった。自衛の意識から本当は着たくなかったセーラー服も、案の定登下校中に痴漢に遭う原因になったし、男子の学ランがどれだけ羨ましかったか。そんな世界で生きていて、男性に対して恐怖を感じないほうが難しくはないだろうか。恐怖症というわけではない。全くの見ず知らずの人間に対して女性よりかは男性の方が少し恐怖の度合いが高いということだ。私の考えは少し捻くれてしまっているかもしれない。だけど、今まで生きてきて女に生まれて良かったと思ったことがない。

話が逸れたが、恐怖の対象であるはずの男性のアイドルを私たちはなぜ応援できるのか。彼らのことを怖いと感じている人は少ないと思う。ファンというのは応援する対象のことを本人よりも知っていたりするし、ファンにとって彼らは生活に必要なものであるから、とても身近な存在になっているのだろう。もしかすると、親や兄弟よりも彼らアイドルに対してのほうが心を開けられる人もいるかもしれない。例えば電車で隣に座るのが好きなアイドルだったならば。恐怖を感じるよりも、嬉しいと思う人が多いのではないだろうか。もたれかかってくる人が、距離を詰めてくる人が、自分が気心を許す人であれば、なんの嫌悪感も恐怖もないのかもしれない。気心を許す人、それと同等の安心感をアイドルたちは感じさせてくれている。だからこそファンは彼らを心から応援できるのではないだろうか。

 

であれば、アイドルは安心して応援できる存在でなければならない。そうしなければファンとの間のビジネスが成り立たなくなる。それは信頼関係のようであり、契約関係のようでもあり、その関係が守られない時点でアイドルとは呼べないのである。

だからこそ私はぐっさんに失望している。応援していた人も、世の中に相当数存在する気持ち悪いオジサンとそう変わらなかった、その事実に相当なショックを受けた。そして私は他のメンバーにも不信感を感じつつある。メンバーが番組で女性の身体について性的消費ともとれる発言をしていたりするのを見ると、どうもモヤモヤする。それを見て思うのは「アイドルがこんなことやってもいいんだ、時代は変わったな」ではなくて、「アイドルに限らず人間としてこういうことはしてはいけない」というのが正しい。彼の二の舞は勘弁だし、その予備軍とも言える行動や言動を時代が変わったことにかこつけて正当化するのはやめてほしい。確かに時代は変わっているけど、その方向は真逆だ。彼らには理性があるから大丈夫、という言い分もあるかもしれないが、その言い方がすでに気持ち悪いし、恐怖や嫌悪の対象である。理性によって欲望を抑えているということは、そういう対象として見ていると言っているようなものだ。SNS等での意見の拡散によって比較的若い世代は考え方が変わってきているように感じるが、心配なのはときおじさん(の世代)だ。番組を見ていてもハラハラするというか、彼らの時代錯誤な発言が最近は気になるようになってきた。ときおじさんの何気ない発言によって傷ついている人がいて、その言葉を受け取った人がその場の空気のために我慢し反論を飲み込んだのがなんとなしに伝わるときが一番辛い。そしてその様子を見れてしまっている、つまりテレビ等で(カットされず)当たり前のように放送されてしまっているのも辛い。変わらないことも大事かもしれないが、変化を受け入れようとしない態度には幾分問題があるように思う。古き良きものを尊重し守り抜いていくことと、悪習を末代まで受け継がせていくこととの違いくらいは見抜いてほしい。彼らを応援するにも、彼らに安心感がなければできない。アイドルという道を選んだ以上は、自分たちが何のために、誰のために活動するのかを考えてほしい。ファンの存在ありきだと言ってくれる健ちゃんには頭が上がらない。ときおじさんの場合、自らをアイドルと思ったことはないと過去に発言しているし、彼らは"プロのアイドル"ではなかったのだと言えば済んでしまう話ではあるが、それでは一生懸命に彼らを応援するファンの気持ちが蔑ろにされているようで残念である。

 

とここまでファン目線で色々書いてきたが、そういう彼らもまた、アイドルという消費される立場で苦しんでいるのかもしれない。私にはアイドルたちの気持ちはわからないが、わからないなりに想像して理解しようとすることが大事だということはここまで書いてきた通りだ。人に理解してほしければ自分も相手のことを理解しようと努めるべき、だと思う。そうして形成されてきたものがマリちゃんたちのような次なるアイドルたちの姿ならば喜ばしいことだ。私たちが安心して楽しめる場所、アイドル文化が廃れずに進化していくと嬉しい。